
ペルシャ絨毯は、日本の漆器や陶器と同じように実用的な工芸品であり、 漆器や陶器の中にも実用品の範疇を超え美術品と呼ぶにふさわしい類が あるのと同様にまさにアートと呼ぶ以外の何物でもない美術品クラスの物 もあります。 ただ美術品は本来実用的であることを必要としませんが、ペルシャ絨毯 は、たとえできあがったばかりの物が、どんなに素晴らしく胸を打つ美術 品であったとしても、それを使い込み愛でる長い年月を経なければ本当の 意味で美術品として完成しないのです。漆器や陶器にしても数百年の長い 間、大切に使われよく伝世したものに、新しい物には決して有り得ない、 得もいわれぬ美しさを増していった物が多くあります。 |
|
![]() |
|
|
|
ペルシャ絨毯の起源は文献により ますと4〜5000年前まで溯るとさ れていますが、確実なところは19 49年にロシアのルーデンコ博士ら の手によって発見されたアルタイ 山脈中のパジリーク峡谷で氷結さ れていた一枚の絨毯(パジリーク・ ラグと名付けられ、エルミタージュ 美術館に収蔵されている)の出現に よって2500年前に現在と同じ手法 による織りの細かい完成度の高い 絨毯が折られていた事実が立証さ れています。 | ![]() |
それだけの技術やセンスが一朝に出来上がるものではありませんから3000年 の歴史があることは間違いないと思われます。 アケメネス朝ペルシャのダリウス1世らが作り上げたペルセポリスの石壁 に絨毯を貢ぐ人物の像が刻まれています。この300年の歴史の中で注目すべ き時期は15世紀から18世紀のサファビー朝の時代です。中でも美術に造詣 の深かったシャーアッバス王は、首都をイスファハンに遷都し、そこに芸 術家や腕の立つ職人を集め王立工房を作り、ペルシャ文化のルネッサンス を起こしました。この時期にペルシャ絨毯のレベルは工芸品から芸術品にま で高められました。その後アフガンの侵略による一世紀近い暗黒時代を経て 18世紀後半からガジャール朝のファタリシャー王庇護の下にレベルの高い絨 毯が織られ初め、現在に至ります。 |
|
欧米ではインテリアを決めていく時 一番初めに照明を決めて、次に絨毯を 選び、 それから家具、カーテンの順番 で決めていきます。それはひとつはイン テリア効果の大きな順位ということも ありますが、絨毯の資産性とその占め る位置を大事にしてきた現われと言え るでしょう。 小さなものでも一年以上の時間をかけ て織り上げるペルシャ絨毯だからこそ 200年以上の使用に耐える強度がある のですが、いくら丈夫だからといって 手入れしないで過度に汚れてしまうと 急速にパイルを損なったり、切れたり することがあります。 | ![]() |
目には見えない内側の汚れで縦糸や横 糸が弱くなることがありますので、5年 から長くとも10年に一度はイラン式の |
![]() ![]() |
水洗いによるクリーニングをすることをお勧めします。良い絨毯は、するたび にその色が冴えてさらに美しさが増し、年月を重ねることでオールド、セミア ンティーク、アンティークと育って美術品として完成するのです。 |
|
|
代表的な産地 |
|
ペルシャ絨毯の産地は、イラン全土に点在しています。極言すれば、イラン のどの町も長い3000年の歴史の中では、絨毯を生産していた時期が、あった と言えるでしょう。時の流れの中で、ある一時期その時代のペルシャ絨毯を 代表するほどの黄金時代を持ちながらも衰退してしまい、現在全く生産され ていない産地も中にはあります。それは、ひとつには侵略と戦いに明け暮れ、 文化の暗黒時代をたびたび経験せざるをえなかったペルシャの国の歴史をひ も解けば、いたしかたないことであろうかと思えます。 また別の意味では、ペルシャ絨毯も絵画と同じように、創造性やその技法に おいて一つの頂点を極めてしまい、新たな天才の出現を待たなくては、自然 と下り坂にある芸術とみなすことも出来るのかもしれません。代表的な産地 を概説しましょう。 最もデザインの芸術性と多様性を誇ったケルマン・ラヴァー。今世紀前半、 コチニール・レッドの深紅のフィールドに、宝石をちりばめたように花々を 細かく織り込んだ絨毯の逸品を産したマシャド。近世ではすでに衰退しはじ めていたが、単調なヘラティ・デザインを色彩と細かな織りのコンビネーシ ョンで芸術にまで高めたフェラハン。それとよく似たヘラティ・デザインや 小さなボディをさらに緻密に織り上げ、近代ペルシャ絨毯の最高峰と呼ぶ人 もいるセンネ(現在のサナンダジ)。センネと同じクルド族の町で、地厚な がら力強く、かつ洗練された絨毯を作ったビジャー。他にサルーク、アラー ク、ハマダン、ガズビーン、テヘラン、ムード、ケルマンシャーなど、現在 は作っていてもコマーシャル的な絨毯しかない過去の産地などがあります。 これらの産地の逸品は当然古い絨毯なので入手が困難なものですが、次に挙 げる5つの産地は現在も過去に匹敵し得る絨毯を数は少ないけれど生産しつ づけているため、比較的手に入れやすい産地です。 【カシャーン】最も歴史のある絨毯の産地でロンドンのビクトリア・アルバ ート・ミュージアムにある有名なアルダビル・カーペットのデザインをした マクスッドや、モータシャン、アタイ、ダビール・サイノエなど希有の名人 が輩出しています。残念ながら現在の絨毯は過去の逸品に遠く及びませんが、 ごくまれにシルクの絨毯で思わず息をのむ逸品があります。 【ダブリーズ】ティムール朝の首都であり、シルクロードのイランの西の玄 関でもあったタブリーズは古くから交易の街として栄えました。タブリーズ 絨毯のデザインの特徴は、例えばかつてのケルマンのように創造制豊かな芸 術美溢れるものではありませんが、伝統的なモチーフが多く、非常に繊細で 端麗です。機械で織ったかと見まちがうほど整然とした織りの技術の素晴ら しさが、写真や絵画のような写真的な絨毯をもつ可能にしています。 【イスファハン】サファビー朝の都として、16〜17世紀のアッバス大王の頃 頂点を極めたこの産地は1720年のアフガンの侵略後、約2世紀の間、絨毯の生 産は低迷を続け、今世紀に入って、セーラフィアン、フェクマンネジャットな どの名人が輩出して、また当時に負けない逸品を作り始めました。非常に緻密 な織りと繊細で豊富な色調の華麗な絨毯はペルシャ絨毯の一つの典型を成して いるといえるでしょう。 【ナイン】イスファハンの東隣に位置するナインの絨毯は、今世紀の初め頃生 産はごく少量でしたが、織り、染め、素材とも非常に質の高い絨毯として珍重 されました。その伝統は今も続いて、濃紺を基調としたノーブルでエレガント な絨毯が織られていますが、非常に特徴的なこの配色は、イランのマイナーな 産地でも模倣され、ナイン産とまがう低品質の絨毯が多く作られてもいます。 【クム】イスラム聖都として歴史のある街ですが、絨毯作りの歴史は最も新し く、およそ80年前から始まりました。しかし一度生産が始まるとすぐに他の産 地に劣らない優れた織りの絨毯を次々と生産し、現在では輸出量の多い産地と なっています。特にシルクの絨毯はイランから輸出されるものの約9割はクム 産です。(もっともこれもナイン産の絨毯と同じでマラゲやザンジャンの町で コピーされた低品質の絨毯が多く出回っています。) 新しい産地だけに将来的な価値は不確定ですが、現在がその街の歴史上最高の 絨毯を作っている数少ない産地といえるでしょう。特にマスミ工房の素晴らし い作品は確実に後世に残る現代ペルシャ絨毯の最高峰です。 |
|